旅のゆかいな仲間たち その8
平成25年7月から




  • 平成25年07月23日から25日 長野県 御嶽山(おんたけさん)3,067m  南木曽温泉リゾートホテル ホテル木曽路  


    • 意外と雨が多かった時期でもあったが現地の天候は曇りの予想で、火曜日の夜は新宿の南口  伊勢丹の上には月が輝いていた。
      今回は3月15日付の案内で 早すぎる便りのために忘れてしまいそうで、パソコンの前に4ヶ月もクリップで留めていた。
      平成14年7月に濁川峠の方から御嶽山ここをクリック
      にチャレンジし、8合目の”お助け水”が枯れていてここで リタイヤした幹事のリベンジするために選んだ山である。

    • 諏訪湖サービスエリアに3時間位で到着し休憩をとる。運転手が変わって今回の幹事がこの区間を任される。伊奈インターから361号、 19号と進んで曲がりくねった山道をロープウェイの乗り場である標高2,180?まで眠気を我慢して運転する。残りの4人はうるさいほど のイビキをして、時には合唱となり運転手はイライラもピークに達したようである。次回はお手伝いしないとお叱りを受けそうである。

       
    • 午前6時頃、目が覚めると雨がしっかり降っていた。ロープウェイの駐車場には車が5,6台止まっていたが残念ながら御嶽山への山行 きは無理となった。雨がひどく外に出て写真も撮れず車で下山する。南木曽町の妻籠宿ここをクリックを散策することとする。

       
    • 9時過ぎに脇本陣 奥谷を見学する。昭和42年に妻籠宿保存の中核として公開され国の重要文化財に指定されている。 囲炉裏の所で、 どこに主人が座り、子供が座り、奥様達が座るしきたり等を聞いてから、いくつかの部屋を丁寧に案内される。
      林家は江戸中期は酒造業を行い 写真にあるように鷺娘(さぎむすめ)と言う お酒を出していたようである。庭も とても行き届いていて雨の中でアジサイが目に映った。御蔵に は家財や家具が見られるようになっていた。島崎藤村の初恋 
      まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 
      前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり
      やさしく白き手をのべて  林檎をわれにあたへしは・・・ 

       の主人公と言われる人「おゆふ」さんの嫁ぎ先でもありその資料も展示されていた。

      10枚の写真
      写真をクリックして9枚の画像をご覧ください。

       
    • 午後2時前にはホテル木曽路に到着 部屋にはまだ時間が早いので入れなかったがホテル側の配慮により温泉入浴が出来ることとなり ゆっくりする。翌日は雨も上がって天気は回復する。遅くホテルを出て19号を北上し 上松町で浦島太郎伝説の「寝覚めの床」 ここをクリックを見学する。写真にある川の風景がその場所で、木曽川の源流が花崗岩の岩盤を長い 間浸食してできた国の史跡名勝天然記念物に指定されている。
      浦島太郎伝説は、竜宮城から戻った浦島太郎は諸国を旅してまわり、この地に立ち寄りその景色の美しさに惚れて住むようになり そして、 玉手箱を開けると300歳の老人になったとのことらしい。
      見学の後 車で伊奈インターを抜けて高遠城跡へ向かう。桜の無い高遠城跡は桜の木の養生のあとを見たり散策して帰路に着く





    • 平成25年11月6日から8日 宮城県 刈田郡七ヶ宿町 蛤山(はまぐりやま)1,014m  南三陸ホテル観洋  


    • 午後9時にいつもの所 新宿南口に集合する。平日に優雅な旅をするためである。考えてみたら当たり前で  既に”ご老人クラブ”の危険な山旅と言う人もいる。
      山はそろそろ冬の装いをしていて 11月の中旬以降は無理が出来ない状況となる。 東北道を車で北上して国見SAで仮眠をとる。車の中で寝袋に入っての節約コースも 狭くて体が動けず不満が広がっている。でも 一泊をビ ジネスホテルで宿泊にも出費が痛い 不平不満はあるが朝になる。

    • 11月6日の朝6時30分頃サービスエリアには霧がかかっていたが徐々に晴れてきた。白石ICから七ヶ 町の青少年旅行村に到着。写真は9時の印字だが8時であった。(デジカメのセットが間違えていた) 林道をしばらく歩いて50分ほどで登山 口である。階段が整備され 山道も歩きやすい きつめの坂もあったが10時20分頃には山頂に到着する。地図を見てみると山の周りを半周した ことになる。山頂の展望はブナと老杉に囲まれているので良くない 葉山神社の祠がありそこには 蛤山であることから はまぐりが祀ってあった 。

       (You Tubeを聞くときは、すみませんがトップの左上のBGMを消してお聞きください)



    南蔵王青少年旅行村案内である バンガローやテントサイトがあり大人で1日1500円程度で 宿泊可能である

    杉林の林道は木漏れ日が差して平坦な道がしばらく続く

    丁寧にいくつもの標識がある。

    50分ほど歩いたところから登山口となる。登って行くと急な勾配が続くようになるが  それほどきつくはない

    マムシグサの実である秋には真っ赤な果実をつける。花が蝮の頭に似ていて、偽茎のまだらも 蝮の胴体に似ている。この茎は子宮がんに煎じて飲むと効果があるとのことだ。

    葉山神社の祀ってある祠(ほこら)には はまぐりの貝がいくつも貼ってある。

    ブナや杉の葉っぱは落ちていたが山頂の展望は開けていない。その先に不忘山(ふぼうさん) 1705?が見える。

    下山途中で前が開けて不忘山の全景が見えた。

    山から離れて5分程度で 蛤山の全景も見ることができた。



    • 今夜の泊まる所は ここから3時間以上の南三陸町の志津川湾にある南三陸ホテル観洋で 白石IC−富谷JCT −利府JCT(三陸自動車道)登米東和ICと走行して3時30分に到着する。いつものように温泉に入り 夕食はアワビ、カニ、お刺身盛り合わせ と豪華であった。(平日はやはりお安い料金パックで十分満足が出来る)
       7日は石巻市の北東で北上川の近くの硯上山(けんじょうさん) 520?ここをクリック
      に向かう。 到着すると道がすごく悪い、登山道に電線を埋設するためキャタピラーのついた工事車両がいたからである 。その泥の道を40分程歩くと頂上についた。風が強く曇っていたので見晴らしも魅力的に感じなかった。この石巻市雄勝は硯(すずり)の産地で全国 の90%を占めるそうである。 この硯上山の途中にもそのような石があった。江戸期には伊達家に献上したことからこの名前が付いたとの伝えである。 この後、400キロ以上の道のりを帰路に着く。運転手に感謝である。  





    • 平成26年7月18日から20日 山形県 蔵王連山の中の雁戸山(がんとさん)1,485m  飯坂温泉 ホテル天竜閣  


    • 午後11時 新宿南口に集合する。天候が思わしくないが久しぶりに会ったので友の近況報告に車の中では盛り 上がった。 雨は東北道に入っても降っており栃木県に入ると雷雨の様相となる。日付も変わった0時40分頃1度目の休憩、2度目の休憩地は 国見SAと決めてそこで短い睡眠をとることとした。
      朝の6時ころには全員が起きて食事を済ませて7時30分には笹谷峠の登山口に到着する 。雨は一向に止む気配がなく山行きは断念して、観光しながら宿泊地に向かうこととする。

    • 釜房湖に寄り、9時30分に宮城県内唯一の桜の名所でもある船岡城址公園に、晴れていれば蔵王連山が見えて 左に不忘山(昨年11月に撮影の写真参照)右に雁戸山が美しく見える場所でもある。城址公園にはこの時期紫陽花が満開でいくつかの種類があり 目を和ませてくれた。

      国道4号線を白石市のほうに向かって走行していると看板に「JAXA 角田宇宙技術研究所」とあったので寄ってい くこととする。H?ロケットの心臓部でもあるエンジンの研究と開発をして、将来の再使用可能な宇宙輸送システムも研究開発している。丁寧な説 明をされてエンジンの燃料の説明なども受けるが難しすぎて理解に苦労する。

    • 白石城は仙台藩の南の要塞と言われ伊達正宗の片腕として名をはせた片倉小十郎の居城として有名である。伊達 正宗より10歳年上で幼き時は守役をし、剣術の指南もした腕前であったとのこと。この後、武家屋敷を見学して宿泊地に向かう。

    • 7月20日も霧雨が降ったりやんだりの空模様の中、福島県の圧樫山(あつかしやま)へ向かう。9時50分頃到着、 文治5年(1189年)奥州合戦の際には源氏(鎌倉軍)と藤原氏(奥州軍)の天下分け目の激戦が行われたという歴史がある。時の藤原国衛は阿津 賀志山に2万の兵を配備して戦ったが源頼朝に敗れたとのこと。この後、国道4号を福島、郡山と抜けて霞ヶ城公園に向かう。二本松市に入り以前訪れ た高村光太郎の妻 智恵子の誕生した長沼家(酒屋)を通り霞ヶ城公園を探して到着すると、以前来た二本松城と同じ所であった。(がっくり)




      山形自動車道の笹谷ICで降りて、急な峠道を上がっていくと20分程で笹谷峠登山口にて山行き 断念

      JAXA 角田宇宙技術研究所のH?ロケットの展示

      JAXA H?ロケットの第一エンジンで、発射すると大気圏で燃えてしまうそうで、これは正確に 出来た模型の展示とのこと。

      白石城は宮城県の南にあり仙台藩伊達氏の支城として片倉氏が代々居住し、一国一城制の対象外 とされ明治維新まで存続した。

      天守閣と言う名をはばかり、大櫓(だいやぐら)とした。

      湯の香ただよう飯坂温泉は、川沿いに旅館が林立している。

      福島県二本松市に2度目の訪問で高村光太郎の妻智恵子の実家である酒店の前を車で通過する。

      霞ヶ城公園の大きなポスターが旅館にも貼ってあり、たどり着いたら以前に来た(平成17年5月 )二本松城のことであった。





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