旅のゆかいな仲間たち(山と温泉 その1)


(昭和46年からの内容)
皆さんこんにちは、ようこそこのページにいらっしゃいました。男5人の変なおじんが揃い、年に2回 少しの冒険と刺激を求めて旅行をする 為に、40年前から今でも続いている旅のお話しです。よく続いたものだと感心していますが・・・・会の名前は、中年探偵団から変更して 「旅のゆかいな仲間たち」としました。気に入らないと文句を言っている者もいますが・・・・(無視して・・・・笑)無理をせずに足腰を 鍛えてこれからも頑張ります。(笑) 山の魅力と温泉の癒しの空間を求めて!

旅のゆかいな仲間たちのモットーは・・・・・1回の旅行を(この当時は)15000円位の負担で行く、安くて内容の充実 したものであることを掲げ、昭和46年頃(1971年)から始まりました。 長く続いたのは、負担が家庭にそして自分にあまり生じない形にした ことであると思っておりますが、この頃は少し余裕が出来て贅沢な事を言っているものもいます・・・(笑) (追記として、現在 令和4年9月時点で50年を超え、まだ 旅は続いておりみんなが70歳を超えました。)


旅行のスタイルは・・・・・・・・金曜日の夜、11時頃新宿駅に集まり、犠牲者の一人が(小さい不動産会社の社長をしていて、 私たちの為に広いワゴン車を会社所有の形で購入した)ワゴン車で出発することが定番となった。夜中の内に高速を走り、現地の近くで朝方まで寝袋で 仮眠して、山に登ったり、観光をして、4時頃温泉のある旅館や民宿などに到着する。  翌日また別な所に移動して観光、夕方東京に戻るパターンが 定着しました。一寸無理をした疲れが、温泉で気分をリフレッシュさせ、夕方のご飯はとてもおいしく、いや、ビールも・・・・・・・・ となるわけ です。
 
  

中年の期間がだいぶ長くなり、年をとらない皆さんが多いので、いろいろな生活リズムを模索している皆さん、ぜひこんな企画 で仲間とリフレッシュする事をお薦めしたいです。この記録が、その参考になればと思います。 ならないかもしれませんが・・・・(笑)



このあたりから山旅に向かうようになる。そして、仲間も以外と仕事が忙しく調整が出来ずに欠席者もでる。夜行列車の山登 りが盛んで、新宿駅の中央線ホームは、金曜日や土曜日の夜は山梨県や長野県に向かう人がいっぱい並んでいた。皆さんも、この光景をニュース等で見 たことが あると思います。

  • 昭和49年3月   大菩薩峠          夜行
  • 昭和49年12月  馬篭宿            夜行列車
  • 昭和50年6月   尾瀬             夜行列車
  • 昭和50年8月   北海道周遊         車

  • 51年から1年半くらい活動が無いときがあり、52年10月再開

  • 昭和52年10月 大島             飛行機                        
  • 昭和54年8月  本栖湖キャンプ        車
  • 昭和54年11月 渥美半島            車

  • この頃は、私が大阪に転勤になり、名古屋で合流していた。今は転勤で九州にいる仲間の赤いシビックでの旅行だったと記憶 している。 この頃から宿泊場所も記録に残る。 別に記録するほどの事は無かったのだが、まめな山好きな奴が仲間にいたので・・・いや、今となって は感謝している。(笑)

  • 昭和55年10月 白樺湖、天竜         車     上諏訪温泉
  • 昭和56年11月 寸又峡            車     寸又峡温泉